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甲子園で大人たちの蛮行?高校野球の観戦の仕方を考える

ライト側アルプススタンドから声援を送る高校生たち

2017年夏の甲子園において、スタンドの応援団によるタオルを回しての応援が禁止された。これが球場全体に波及し、高校球児のプレーに悪影響を与えることへの懸念からだ。話題となった「タオル回し禁止」が持つ意味を高校野球の本分と参看し考えたい。

2017年9月20日:用字用語の整理。

観客の影響力が明らかとなった試合

2016年夏の甲子園、八戸学院光星高校と東邦高校の一戦。東邦が4点を追い掛ける9回裏にそれは起こった。最終回の攻撃を迎えた東邦高校の応援団が「we are 東邦」の大合唱とともに、逆転を信じてタオルを回し声援を送り始めた。 それは徐々に一般の観客へも広がり、やがては球場全体へと膨らんでいく。異様な雰囲気となった甲子園は、八戸学院光星を飲み込んでいった。

その一種独特の雰囲気に乗った東邦は一挙に5点を奪い、さよなら勝ちを収めたのだ。八戸学院光星の櫻井一樹投手は「全体が敵なんだと思った」と精神的重圧となったことを吐露している。5万人の観客たちが、一斉に一方のチームを応援することで生まれる「力と怖さ」を、まざまざと見せつけられる試合であった。

なぜタオル回しが禁止なのか?

そもそも、タオル回しの発祥はライブコンサートみたいだが、プロ野球の応援でも同様に行われている。得点した際に応援歌と併せてタオルを回して歓喜する。応援するチームの気勢をあげて、相手チームに精神的重圧をかける狙いもあるのだろう。ただ、プロ野球ならなんら問題はないのだ。なぜなら、時には過酷とも言える環境の中で結果を残し、自らのプレーで観客を魅了して対価を得る。それこそがプロ野球選手という「職業」だからだ。

しかし、甲子園でプレーしているのは弱冠15歳から18歳の野球を生業としていない高校生である。その高校生に5万人の観客たちが、寄ってたかって片寄った応援をする。彼らにとって甲子園は「夢の大舞台」であることを忘れてはいけない。だからこそ、高校球児たちの悔いのないプレーを望むのであれば、ただでさえ張り詰めた雰囲気の土壇場で、観客が悪影響に「参加」することは慎むべきだ。

高校野球の応援のあるべき姿とは?

高校野球は一球にかける思い、一生懸命がんばる姿勢が観るものの心を打ち感動する。そして、名勝負や大逆転などが生まれ、伝説として語り継がれていくのだ。

その瞬間に自分も立ち会いたい、目の当たりにしたいという気持ちが、年々観客たちの心理として増幅し過ぎているように感じる節がある。特に負けているチームが追い上げる状況において、観客が節度をわきまえない応援に「便乗」してしまっているのだ。

高校野球が教育の一環であるならば、両チームの応援団に挟まれた観客は、中立でなければならないはずだ。ただ、劣勢なチームに肩入れして鼓舞するのは、至って自然な気持ちで問題ない。しかし、そこに「愉快犯」や「逆転の演出家」といった身勝手な意図が含有しているならば、軽挙妄動を戒めるべきなのだ。

精神的にまだ未熟で、環境に左右されやすい年代の高校球児たちにとって、観客が大挙して行動することの影響は計り知れない。そして、観客は時として勝敗すら操作しかねないことを自覚すべきだ。高校野球を心から愛するのであれば、そう難しいことではないはずだ。

まとめ

とりわけ甲子園は多くの野球ファンを熱狂させる。そして、観客は記憶に残る試合を渇望している。その行き過ぎた気持ちが、時として遮二無二プレーすることを邪魔をしてしまっているのだ。

今こそ、高校野球の観戦の在り方を、建設的に反省し、見直すべきではないだろうか。高校球児が夢の大舞台で流す涙は「観客」が理由であってはならないのだ。

その一瞬に魂のこもったプレーを望むからこそ、雌雄を決する場面では息を飲んで決着を見守り、いかなる結果になろうとも万雷の拍手と歓声を送る。これこそが高校野球の観戦における真の楽しみ方ではないだろうか。

「甲子園にすむ魔物」の正体が自分たちであることは、誰にも明かしてはならないのだ。