人生は旅だ

よもやま話に花が咲く

球界に散華した情熱の指揮官・星野仙一氏の真っすぐ続く道

故星野仙一氏

その尽きることのない野球愛と妥協を許さない厳しい指導。一方、人情に人一倍厚く、周囲への感謝と気遣いを決して忘れることがなかった星野仙一氏。誰もがほれ、魅了されたその人間味あふれる生き方に改めて触れながら、しっかりと心に留めておきたいと思う。

2018年2月16日:用字用語の整理。

燃え尽きることのない野球への情熱

「星野仙一」と聞けば、まずいの一番に思い浮かぶのは「闘将」や「激情家」といったところではないだろうか。確かに他に類を見ないほどの熱さを持った選手や監督であったのは間違いない。しかし、それは他の誰にも追随させないほどの深い「野球愛」が突き動かしたものであったのだ。

野球に対する愛情が深いからこそ、勝負から精神的に逃げたり、緩慢や怠慢なプレーをしたりすれば雷が落ちたそうだ。つまり、野球を粗雑に扱うような「気の緩み」は絶対に黙許しなかったのだ。

今や野球界に名をはせる中日ドラゴンズの名選手たちも幾度となく顔を腫らしたに違いない。テレビを通してだが、気を抜く失敗や集中力を欠いたプレーには試合中でも容赦なく鉄拳が飛んでいた。さらに、注意力が散漫して牽制に刺された選手や集合時間に遅刻した選手からは生き肝を抜くような罰金が科せられたそうだ。

現役時代の星野氏は能力がない人間が生き残るには内角球と自身を弱者と捉えていた。そして、闘志を前面に押し出し、セ・リーグ*1で9連覇していたV9の読売ジャイアンツに鬼神のごとくぶつかっていったのだ。長嶋茂雄氏や王貞治氏らとの命を削るような死闘を繰り返した。その戦場で身に付いた「覚悟」が自らの武器を自覚させたはずだ。

39歳という若さで中日の監督に就任し、星野氏は「血の入れ替え」の必要性を訴え、大型トレード*2や大胆な選手補強を次々と成立させてきた。

ロッテオリオンズの落合博満氏と中日の牛島和彦氏ら「1対4」衝撃のトレード。

巨人の西本聖氏と中日の中尾孝義氏という当時はタブー*3とされていた同一リーグの好敵手であるチームとのトレードにもメスを入れた。

阪神タイガースの監督時代には広島東洋カープの金本知憲氏のフリーエージェント*4移籍により獲得した。

日本プロ野球におけるトレード移籍は今でも大リーグ*5に比べて成立する機会が非常に少ない。なぜなら、相手チームに移籍した選手が活躍することを危惧する因習があるからだ。星野氏はそういった目先のことよりも、実力がありながらもチーム事情から出場機会に恵まれない選手たちに、新天地で活躍の場が広がることを期待したはずだ。一選手の人生の好転と野球界の活性化をにらんでいたに違いない。

トレードやフリーエージェント移籍は自チームを補強するためであることは間違いない。しかし、星野氏の一貫性のある発言の根底にあったのは「野球界の将来」に対する危機感だ。また、いかにして一層の発展を遂げていくのか、それらを見据えた上での決断でもあったはずなのだ。

落合氏のトレードは当時有力な移籍先とされていたのは巨人だった。水面下ではオーナー*6同士が交渉を重ねており、成立が近いともうわさされていた。当時の巨人は原辰徳氏や吉村禎章氏、ウォーレン・クロマティ氏、篠塚利夫氏らそうそうたる顔触れが名を連ねていた。その中に落合氏まで加入してしまえば野球界の戦力均衡が大きく崩壊してしまう。

よそが獲らないんだから。うちが獲るしかないと監督1年目の星野監督が意を決し、球団に直談判したそうだ。中心選手であり、弟分としてもかわいがっていた牛島氏らの放出。大きな代償を払うことになったが、巨人へのトレードと巨人の独走を阻止したのだ。中日にやって来る落合氏ばかりが脚光を浴びる中、新幹線に乗って名古屋から離れる牛島氏をわざわざ駅まで見送りに行ったのは、星野氏らしい熱い計らいだった。

広島からフリーエージェント宣言をした金本氏を獲得する際には当時低迷していた阪神を蘇生するためにお前は俺と一緒に歩むことになっているとにかく早くはんこを押せと怒濤(どとう)のごとく説き伏せたそうだ。その裏舞台では東京六大学時代からの盟友である広島監督の山本浩二氏に主力選手の引き抜きに関し、事前に断りを入れて仁義立てをしている。

そのどれもが「野球界の変革」に対して脈々と流れる圧倒的な情熱から生まれたものだといえる。そして、星野氏だからこそ成立した交渉だったのだ。

もし落合氏がロッテから巨人に入っていたら、中日の監督になることはなかっただろう。ましてやゼネラルマネージャー*7になるなど誰が予想できただろうか。牛島氏は横浜DeNAベイスターズの監督にまで登り詰めた。金本氏も阪神でユニホーム*8を脱ぎ、監督としてチームの再建に注力している。広島時代にさかのぼれば、まさか「恩師・星野氏」逝去の報を縦じまの指揮官として接するとは夢にも思わなかったはずだ。

星野氏は日本プロ野球の歴史をあえて「確信犯」となって動かしたのである。

厳しさの裏側のあふれるほどの愛情

猛烈を極める闘いの中でも、選手たちを始めとする家族から裏方に至るまで、きめ細かい気配りや配慮を欠かさなかったそうだ。選手の奥様の誕生日を把握しておき花束を贈ったり、罰金を科された選手が活躍したならば、ここぞとばかりに監督賞として罰金の倍返しをしたりしたのも有名な話である。

そして、引退した選手の再就職にも尽力したそうだ。他チームのフロント*9や監督に電話をかけ、自ら頭を下げたことも知られている。懇意のメディア*10や後援者にも声を掛けて回ったそうだ。

公式戦が終わるとカタログ*11を前に、チームの裏方に何を贈ったらいいかいつも迷っていたそうだ。通例であればマネージャー*12に任せるべきところだ。しかし、「心を届けたい」と時間を割いて、決して人任せにはしなかった姿勢にも気持ちを大切にする人柄がうかがえる。

時には敵ともなり得る新聞記者たちにも星野氏は暖かかったそうだ。敗戦時の囲み取材には怒号が飛んだり、突き飛ばされたりしたことが度々あったのは想像に難くない。しかし、キャンプ*13では記者と雑談する機会をふんだんに設けていたそうだ。人間対人間として記者との距離を縮めていったに違いない。そして、メディアの影響力を「戦力」として認め、自らの考えや意思を野球ファンや野球界に広げていく武器へと変えたのだ。

阪神の監督を辞任する際には各紙の番記者*14を一人ずつホテルの自室に呼び、事前に伝えておくことで、記者が誰一人特ダネ*15を落とさないように配慮をしたそうだ。これまで一方通行になりがちだった野球とマスメディアの関係を「持ちつ持たれつ」にした功績も大きいはずだ。

星野氏は何をも恐れないような言動から「武闘派」と誤解されがちだ。しかし、舞台の表裏に関係なく、あらゆる人たちに尽きることのない愛情を注いでいたのが分かる。「心なくして人は動かじ」ということを、自らの生き様でわれわれに示してくれたのだ。だから、これだけの人たちが星野氏逝去に哀悼の意を表し、それぞれの思いを新たにしているのだろう。

次に見据えていた偉大な夢

「未来の野球界へ、何とか恩返しをしたい」

(出典:日刊スポーツ

星野氏の視線はいつも野球界の将来へ向かっていた。最も憂いていたのは野球人口の減少である。プロ野球の観客動員数は増加傾向にあるものの、少年野球を始めとした競技人口そのものは尻すぼみだからだ。危機感が具体的に公言されることは少なくないが、実際に実効性のある対策は取られているとは言い難い。

2017年11月に行われた野球殿堂入り祝賀会の壇上で、星野氏は自分の話をそこそこにして、次のように野球界の進むべき道を熱弁していた。

「全国の子供が野球をできる環境をつくらないといけないという夢を持っています。(活気のあった巨人の)V9時代の球界に戻さないといけない。プロもアマもない。野球界(全体)と考えれば底辺も拡大する」

(出典:スポニチ

特に都内では野球場を見つけるのは非常に困難だ。野球がしたくてもやれる環境がないのである。無論野球場を建設するには莫大(ばくだい)な資金が必要となる。過去の不況から社会人野球の廃部が相次ぎ、独立リーグやクラブチームの受け皿は増えてはいるが、決して潤沢な財源があるとはいえない。企業に資金面の後援を依頼しても、継続性の問題が付いて回る。

そこで、星野氏は財源をひねり出すために野球トト*16の導入を思案していたそうだ。収益はプロ野球には入れず、アマチュア*17球界の環境整備や強化費に充てる。野球場の確保や道具の補助だけでなく、いざというときは災害や震災のための支援金として拠出する。現在も続く東日本大震災の復興を肌で感じてきた星野氏らしい名案だといえよう。

これを実現するためには野球界の最高責任者の位置付けであるプロ野球コミッショナー*18への就任が不可欠だったはずだ。

歴任したのは政財界の要職であった方々が主で、野球に関する見識の乏しさは否めない。客観的な視点からの改革が断行できる強みはあるものの、過去に自発的に大なたが振るわれた記憶はない。野球ファンからは課題の先送りと大リーグへのむやみな追随を指摘されている。

プロ野球の経営に熟知し、何よりも現場に理解が深い。そして、野球界を盛り上げていこうという情熱がある。時として「大量出血」しても、目的地まで強引に連れて行ってくれる。

この上ない適任者であった星野氏が旅立たれたことは一野球ファンとしても痛恨の極みである。しかし、きっと私たちがよく目にしてきたように、ベンチにどかっと腰を下ろし、足を組みながら「後はお前らに任せた」と笑いながら見守っているような気がしてならない。

星野氏が中日の監督時代の逸話をご紹介したい。新聞記者たちが話を聞いていたところへ、星野氏の右腕とも称された当時ヘッドコーチの島野育夫氏が当日の打順を確認するために入ってきたそうだ。すると、星野氏監督はただうなずくだけだったそうだ。

つまり、一度任せたのなら、とことんまで信頼し、過剰な介入をしない。任せられた側は意気に感じるはずだ。そして、必然的に責任感が生まれ、期待に応えようと努力するだろう。

同じように星野氏は後進に道を譲ったのかもしれない。星野氏の薫陶を受けた人たちは責任を持って期待に応えてもらいたい。そうでなければ天国から「愛のむち」が再び飛んでくるのだから。

まとめ

星野氏の逝去の報に接し、改めて野球へのあふれんばかりの情熱を知ることになった。野球を愛し、人を愛した「究極の野球人」を失ったことは痛惜の念に堪えない。

その寂しさに誘われて始まった星野氏の武勇伝や数知れぬ功績たち。そして、見据えていた未来をたどる旅路は、派手なたたずまいに身を隠していた深い愛情に触れる道程でもあった。

亡くなるその時まで、その生き様を貫くように気丈に振る舞い、弱音を吐かなかった。周囲に悟られぬように勇ましく散華*19していったのだ。

星野氏がよく語っていた「迷ったときは前に出ろ」は苦難に立った人たちを死してなお鼓舞し続けるだろう。そして、その魂はいつまでも私たちの心の中に残り続ける。

それこそがあなたが激動の野球界を生き抜いた証しなのだから。

さらば、情熱と愛情の男よ。たくさんの「夢」をありがとう。

(出典:星野仙一記念館東北楽天ゴールデンイーグルス

*1:〔和製語 Central League〕日本のプロ野球リーグの一。1949年(昭和24)結成。六球団が所属する。セ-リーグ。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*2:【trade】プロ野球などのチーム間で行われる選手の移籍・交換。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*3:【taboo】言及したり行なったりしてはいけないこと。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*4:【free agent】プロ野球などで、出場選手登録日数などの規定を満たしたことにより、他球団と自由に契約交渉ができる権利を有する選手。FA/出典:広辞苑 第七版(岩波書店 2018年)

*5:アメリカのプロ野球で,最上位の連盟。ナショナル-リーグとアメリカン-リーグの二つがある。メジャー-リーグ。ビッグ-リーグ。MLB。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*6:【owner】所有者。持ち主。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*7:【general manager】スポーツ-チームの総監督。監督の上位にあり,チーム編成などを行うが,現場での指揮は執らない。GM。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*8:【uniform】スポーツ選手が,各チームごとにそろえて着る運動着。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*9:【front】プロ-スポーツチームの経営や管理にあたる首脳陣。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*10:【media】手段。方法。媒体。特に,新聞・テレビ・ラジオなどの情報媒体。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*11:【catalog(ue)】商品や展覧会の作品の目録・説明書。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*12:【manager】〔マネジャーとも〕スポーツ-チームなどで,雑務を担当する人。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*13:【camp】スポーツ練習のための合宿。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*14:いち早く情報を得るために,特定の人にいつもついている記者。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*15:新聞・雑誌などで,ある社だけが手に入れた重要な記事の材料。スクープ。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*16:【toto】〔イタリア語で払戻所などの意〕スポーツ振興くじの愛称。指定試合のそれぞれについて,試合結果を予想する。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*17:【amateur】芸術・学問・スポーツなどを,職業ではなく,趣味や余技として行う人。素人。愛好家。アマ。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*18:【commissioner】〔権限を与えられた人の意〕プロ野球・プロボクシングなどの協会で,裁断権をもつ最高権威者。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)

*19:戦死を美化していう語。/出典:スーパー大辞林3.0(三省堂 2014年)